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わが隣保(隣り組)毎年恒例の“花見”が29日に行われた。 “花見”とはいっても、桜はもう済んでいるのだが、 なぜかそう称してご近所の老若男女が集まってゲームをしたり 熱々の焼きそばを食べたり、話に花を咲かせたり、 楽しいひとときを過ごすのである。 例年、GW始めのこの時期は穏やかな晴天に恵まれ、 新緑に包まれた谷の景色も素晴らしい。 花見に参加する顔ぶれも年とともに変わってゆく。 春を待たずに亡くなったひともいる。 畑仕事が忙しくなるこの時期 鍬を手にしたその姿が今にもひょっこり現れそうな気がする。 田舎に暮らすひとの死は移ろう風景と村人の記憶の中で ゆっくりと認識されていくのだ。 そんな気がしてならない。 入れ替わるように、花見には 母親に手を引かれた幼い子がやって来る。 子供達の成長の速さにはいつも驚かされる。 花見を卒業したらまたいつか 大きくなった頃に帰って来る事もあるだろう。 また来年も新緑の季節に、この場所で。 #
by harimania
| 2008-04-30 23:59
| 北播磨の四季《春》
2月の末に西班牙(スペイン)を旅した。
バレンシア地方の山あいにある町、ヘリカ。 人口1500人のこの小さな町でペンションに泊まり のんびりとしたひとときを過ごした。 朝10時にBarcelonaを出発し特急から近郊電車に乗り継ぎ、 Saguntoという駅で更にローカル線に乗り換え、 乗客も少ない列車に揺られて小一時間。 午後3時半過ぎにJéricaヘリカ到着。 最寄り駅に降り立った時にはこのあたりでは珍しいという雨模様で (私が日本から雨を連れてきたのか)翌朝も晴れ間は見られなかったものの 歴史が感じられる古びた町並みや塔、郊外の畑やオリーブの樹、 広々として静かな風景に心が和んだ。 この町の様子はおそらく何百年も前から変わっていないのだろう。 そう考えると尚の事時間がゆっくりと流れているように感じられる。 月日は移り、住む人が変わっていっても 町は依然としてそこに在り続ける。 畑仕事・教会・町の広場の立ち話・バルでの集い・サッカーを観る愉しみ… 些細な日常の営みが今日も積み重ねられていく。 #
by harimania
| 2008-03-31 23:41
| 田舎で暮らすということ
相変わらず雪が舞ったりと寒い天候が続きますが、それでも 日射しに少し春の気配が感じ取れるようになった今日この頃、 皆さんいかがお過ごしでしょうか。 私は元気でやっております。 突然ですが、告知です。 脳学者の茂木健一郎氏司会のNHK番組“プロフェッショナル・仕事の流儀”で わが地元・西脇の方が出演されるのです。 片山象三さんという方で、織物の街・西脇を復興させようと頑張っておられます。 番組のサイトはこちらから。 いや〜これは見逃せません! 19日午後10時からの放送をぜひご覧ください! #
by harimania
| 2008-02-16 13:39
| 私の好きな場所
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by harimania
| 2008-01-31 20:14
| 北播磨の四季《冬》
10月28日、西脇大劇『さよなら上映』に寄せてー
神戸・三ノ宮発の路線バスの車内に 終点が近づいた事を告げるアナウンスが流れる。 それを耳にする乗客の数はもう片手で数えられるほどだ。 閉じられた商店のシャッターが並ぶ街の目抜き通り。 バスは古ぼけた映画館の傍らを通り過ぎて ほどなく旧国鉄西脇駅跡地にできた停留所に止まる。 更にそこでバスを乗り換えて40分ほど行けば僕の故郷の村がある。 田舎のバス事情をご存知ないだろう。 乗り継ぎに2時間待ちなんてことは、ザラである。 いきおい寂れた街の真ん中でぼうっと時間を潰す羽目になる。 コンビ二なんて場所はまだ田舎街にはなかった頃だ。 実家に電話して車で迎えに来てもらえば話は早い。 だがその頃、喉の奥に刺さった小骨を気にするように 顔を会わせればふた言目には息子の婚期が遅れてゆくのを 心配げに、時には苛立たしげに問い質す父を やや疎ましく感じていた僕は、なるたけ不便さを我慢してでも バスを乗り継いで独りで家まで帰っていたのだった。 高校を卒業後、阪神間に出て行き 都会の刺激的な生活が日常となった僕にとって たまに帰郷する度に目にする西脇の街の衰退ぶりは 物悲しいばかりだった。 国鉄鍛冶屋線と西脇駅の廃止が追い打ちをかけた。 閑散とした駅前商店街に人の姿はなく 皮肉にも『日本のへそ』をアピールする街に 肝心のへそが無くなってしまったような喪失感を僕は覚えた。 郷愁の念と喪失感がないまぜになったもの。 多分それが僕の感傷の正体だったのだろう。 そして10年前の事。 予期せぬ父の死。 その後僕は18年振りに故郷に戻り、暮らすようになった。 故郷の侘しさを嘆くばかりだったこちらの感傷をよそに そこに暮らす人々は、今浦島みたいな僕が 勝手に頭の中ででっちあげていた空白の時間を 確かな日々として、確かな足取りで生きていた。 遠きに在りて思うものだった故郷へのノスタルジィ(郷愁)。 現実がそれをゆっくりと埋め合わせてゆく。 北播地区最後の映画館・西脇大劇が閉館するという ニュースが新聞の地方面に載ったのは今年の9月の末。 閉館の1ヵ月前のことだった。 シネコン全盛の今、皆気軽に明石や三田まで車で出かけてゆく。 それでも古時計のように、地元唯一の映画館は休むことなく 細々と名作や話題作の上映を続けていたのだ。 『さよなら上映』のスケジュールにある、 最後の作品の名は、『ニュー・シネマ・パラダイス』。 絶賛された映画だとは知っていた。 いつか観たいと思いつつ未だ観た事がなかった。 イタリアの小さな村が舞台の、ある映画好き少年の物語 これくらいしか予備知識がなかった。 ご存知の方も多いと思うけど、少々あらすじを記しておこう。 【ストーリー】 シチリアの小さな村にある映画館パラダイス座。そこで青春時代を過ごした映画監督サルヴァトーレが、当時慕っていた映写技師アルフレードの訃報を聞き、故郷に帰ってくる。そして少年時代、青年時代の思い出に浸っていたサルヴァトーレが受け取ったアルフレードの形見には、映画への愛とアルフレードの想いがぎっしり詰まっていた… 〈西脇大劇にて当日配布された上映チラシより〉 映画が数少ない娯楽として、しかし娯楽以上の意味をもっていた昔… そんな映画全盛時代を彩った名画へのオマージュとも言えそうなこの作品は きっと熱心な映画ファンの方なら何倍も面白さを堪能できる一作だろう。 でも所謂名画にはからきし疎い僕にも十分楽しむことができた。 勿体なくも、主人公トト(サルヴァトーレ)のようには 映画との蜜月を育まずに大きくなった僕。 わが高校時代にも十分古色蒼然としていた西脇大劇は関心を引かれるものではなく 正直、単なるポルノ上映館の印象でしかなかった。 オンボロ大劇と僕の出会いはわずか3年前のことだ。 閑散とした館内で偶々観た『初恋の来た道』。 原題を『我的父親母親』という。英題は『The Road Home』。 【ストーリー】 中国北部の寒村に、都会で成功したビジネスマンが帰ってくる。父親の葬式をあげるための帰郷なのだが、母親は病院から棺を車で運ばずに村の葬儀の伝統に沿い、歩いて村まで運ぶと言い張る。戸惑う息子の視線の先には、両親が結婚した当時の写真が。彼は母から聞かされた両親のなれそめを追想してゆく。若き日の母=18歳の少女デイは、村に赴任してきた小学校教師チャンユーに一目ぼれする。彼女はせっせと彼のために弁当を作り続けていくが小さな村にも変革の波が押し寄せて来ていた… 母と亡き父と中国の寒村、そこに住む人々。 皆の想いを受け止めた息子は、父の代わりに古ぼけた学校の教壇に立ち、 かつて父がそうした様に村の子供たちを相手に音読の授業を始める。 映画はそこで終わるが、そこから先はいわば、 連綿と続くリレーのバトンを受け取った息子の物語になるのだろう。 そして村に新しい歴史が流れ始める。 一方、父親がわりのようなアルフレードと故郷を捨て去り やっと彼の葬儀のために帰ってきたトトにとっては あくまでも村は甘美でほろ苦く、芳醇な思い出の舞台に留まる。 彼の目の前で今や無用になったパラダイス座が爆破されるシーンが象徴的だった。 こうしてトトの胸の内でノスタルジィ(郷愁)はそのまま永遠に保存される。 トトと同じく時間の歩みのひどく鈍い町を後にした僕は 都会で一旗揚げた彼とは違い、父の死を契機に20年近く経って故郷に戻ってきた。 トトの様にひとかどの成功者にはなれなかったかもしれないが 生まれ育った故郷で暮らすうちに、僕は自分自身になれた。 それでよかった、と今は心から思う。 2007年10月28日。 西脇大劇は静かにその歴史の幕を閉じた。 大劇の最後の上映を見届けようと集まった人たち。 その中には僕なぞ及びもつかない、 足繁くここに通った熱心なファンや 往時の隆盛を知るひとも多かったに違いない。 かつての織物の都・西脇の文化の灯がまたひとつ消えた。 そうなのかもしれない。 だが再び僕の中で時を刻み始めた街は、故郷は、今日も呼吸している。 野菜の荷を市場に運び終えた夕暮れ時、懐かしい西脇の街を軽トラックで走る。 8年間続けた大阪までの長距離通勤を止めて僕は今、地元で農業を生業にしている。 バイパス沿いの新しい商店街を母校の制服を着た高校生達が下校する。 その傍らを車で通り過ぎながら 帰って来たんだな、と思う。 そして故郷の街で働き、暮らしていることを実感し 街の風景の一部のように自分を感じては、幸福な気持ちになる。 50年目の節目を目前に役目を終えた老映画館と その末席に座って観た2本の映画を僕は忘れないだろう。 ※今年も怠惰な拙ブログにお付き合いいただき有り難うございました。 それでは皆さん、よいお年を! #
by harimania
| 2007-12-30 20:28
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